読谷村戦争遺跡!掩体壕、北飛行場跡
掩体壕 (えんたいごう)
掩体壕とは 航空機を敵の攻撃から守るための格納庫
読谷村にある掩体壕は戦後、3~4基あったそうですが今現在1基のみ
以前までは地元の人に聞くと、牛舎農機具を入れる倉庫として使われて
いたそうです
掩体壕は、かなり老朽化し落盤防止のため鉄骨の柱で固定されてます!
横に建立されてますのが、義烈空挺隊玉砕地碑
旧日本帝国陸軍 奥山道郎大尉率いる精鋭空挺隊
昭和20年5月 沖縄戦に出撃しここ読谷村で最後を遂げたそうです。
※ 掩体壕をご覧の際は、読谷村社会福祉センターと民家の間の路地を
200m行きますと、十字路を右折更に最初の路地を左折50m左に確認!
読谷補助飛行場跡
読谷補助飛行場は滑走路の長さ2000m、航空機の駐機場誘導路1500m
があったそうです。
返還されるまでは、米軍のパラシュート降下訓練演習場として使用されて
た場所で現在は一般道路として交通量も多いです。
大日本帝国陸軍、沖縄北飛行場として使用
1945年4月3日占領され、返還されるまで米軍が使用
同飛行場跡地は、1943年~45年にかけ、旧日本軍が北飛行場を建設
戦後は米軍が、読谷補助飛行場として使用
常駐航空機はなく、ほとんどがパラシュート降下訓練演習場として使用
返還後は一般道路として使用 現在周辺は道路開発整備中です。
掩体壕 読谷補助飛行場は読谷村役場の近くです
座喜味城から撮った画像です!
赤瓦屋根の大きな建物が読谷村役場
左手に見える道路が、読谷補助飛行場滑走路跡
右手に見える道路が、航空機の誘導路及エプロン跡
更に後方が、嘉手納空軍基地です!
沖縄観光の際は
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